Liberty 55

一般大衆による政治考察
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私が信じる社会
法律は、今持っているものまたは約束されているものを守るためにあることが主な役割だという話しは以前にしました。そしてそれが強化されていく社会と国民が望む社会にはほとんど関係がない(むしろ悪い)ことも示されたのではないかと思っています。

車社会において、法律違反は日常です。基本的にスピード違反ですし、携帯で話さなければ・・ と車を路肩に停めても、停車違反。
しかし、それを厳格に適用することや、違反を取り締まれるようさらに法律を強化していくことは、果たして私たちが望んでいることでしょうか?

その様な違反に係るある事故が起きたとします。それは違反行為がいけないんだとそれぞれが感じ、法律の厳格化をしようとするとして・・ まず重要なのは、その事故によって失った命なりはもう帰ってこないことです。
そして次に、青信号なのに心配しながら減速などして通過する人はいないでしょう。
法律がきちっと守られるということは、違反する場合の大事故を増やすということです。


その様に考える時、法律と各自への秩序道徳的要求との“妥協点”を見つけ出す意識を持って、立法(つまり政治)に参加していくベキだということが想像できるでしょう。

その上で、私が信じる“妥協点”の境界となるべき指針を示したいと思います。

第一に、各自が何かしらの役割を担うこと
第二に、指揮指導側の者は、『見張り、且つ、信じる 』こと
第三に、成長(変化)し続けていける仕組み(ボディ)であること


私の中では、このような秩序が実現されている社会こそ自由主義と呼べるような社会なんだろうとも思います。
私を含む多くの一般市民にとって、今とらわれている“被害者意識”のようなものなど、実際は必要がないもので、本当に必要なのは“希望”であるはずです。
| 55政党 | 秩序 | 17:49 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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