Liberty 55

一般大衆による政治考察
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教育論
今日の読売新聞にも、学力低下など出ているが・・ テレビで見かける多くの識者の方々も、教育の重要性を力説している。
しかしそれは、世界との競争力の低下を危惧することから発し、一握りの優秀な学生をさらに伸ばすための試みを指していると考えていいだろう。
さらに、そんな一握りの優秀な学生の場合は、今まで通りの厳しい競争や詰め込み型教育でも十分に対応し続けていけるだろう。

ところが、私の言う教育論とは、そこを指していない。
今のままの論法でいけば、世界で戦える一握りのエリート育成のために、多くを犠牲にする方法であると言っていいレベルであるからだ。
第一、日本人がここまでの産業の成功を成し遂げてきたチカラとは、その優秀さではない。意義や価値など考えずに没頭できる人格や勤勉さ、習慣こそがなによりもそこに係っている。

また、調査データなどが示しているのは、あくまでも国民の平均レベルの問題であり、一部のエリートを育成することが必要だとは示されていない。

さらに、かつて日本が受験戦争に没頭することによって成し遂げてきた教育水準の高さとは、そのことによって未来が明確に見えていたからであり、高学歴が必ずしも未来を約束しない今、その効力は失せている。もちろんそれは、年功序列終身雇用が終わってしまったことにも関係しているだろう。 


話しを戻すが、教育に没頭している期間とは、紛れもなく、子供の人間性を大きく左右する期間であるので、学力向上を最優先事項としていい正等な理由は見つからない。さらに、日本の将来のために一部が犠牲になっていい理由もない。
そういう側面からも考えていけば、義務教育期間と高等教育期間は明確に分けて考えるべきであろう。

近頃の教育重視論には、以前と違い今はひたむきに学ぶ環境ではなくなってきているという部分に着目しているものも見受けられる。
学力低下の問題は、むしろそここそに係っていることであろう。その部分の解決策も模索した上で、さらに人間性育成期間であることも視野に入れて検討していくならば、『義務教育とは、以降も学び続けていけるためのボディを作る期間』であると捉えることが重要であろう。

それは習慣かもしれないし、成功体験かもしれない。(専門家ではないので分からない。)
いずれにしろ、今の環境下で今まで通り強化していくには無理があることは間違いない。その部分を打開するテクニカルな部分を強化した上で、高等教育では今より大幅に分化を促進していくことが重要だろう。
昭和の延長線上でこのことを捉えてしまうと大きく間違ってしまう。昭和教育の成功とは、ひとえに秩序作りと計画統制国家運営に大いに役立つ若者作りにこそあったと捉えるべきで、今の時代の教育論に“かつてのレベル”的見習う発想を持ち込んではならない。
全体水準を上げるのではなく、国家が培ってきたノウハウを次代に引継ぎ、当人自身がより良い未来を切り開いていけるチカラを身につけることこそが教育の形であろう。

そのためにも、成長し続けていけるボディの育成と、早期に細分化され専門的な分野に進んでいくタイミングを早めていくことによって、それぞれ多くのジャンルに深さを増していくことが重要だと私は考えている。


最初の視点に戻って一部補足したい。
将来の日本を背負っていくような優秀な人材を育てることを視野に入れて教育強化を考える場合、私財をどんどん使って個人を伸ばしていくことに何の疑問も必要がない。しかし、義務教育期間は子供の人格育成期間であることを第一に考えられるのならば、公平性を無視することは出来ないだろう。(もちろんこの論点では、貧富格差がリレーしていくとか・・ その様な部分には一切関係が無い。)
教育とは国家のノウハウである。
健全な肉体が精神とかかわりが無いように捉える人がいるならば、それはエリック・エリクソンを読まなければならないだろう。精神構造の発達は人体の成長と密接に関連していることは疑いようが無い。
義務教育とは、学力を伸ばすところではないのである。自身の子供は自身の所有物であるかのように捉えるならば、アブノーマルに育ってしまった子供を社会が世話する理由が薄くなってしまう。親とはまず、皆親初心者なのであり、義務教育は国家が自信を持って引き受けられるようノウハウを積み上げておかなければならない。

つまり、義務教育は、すべて公立にするなり、統一基準で行われることが望ましいだろう。高校から、いくらでもお金をかけるなり、個々それぞれのジャンルを選ぶなり勝手にやったらいいだろう。
「中学出たタイミングで道を決めさせるのは酷だ。」・・・という意見もあるだろう。しかし、道とは選ぶものではなく、決めるものである。さらに、もう十分に社会経験を積んだ後に、やり直しやすい環境を整えることこそ望ましい。そして、道を絞りきらない高校があってもいい。そして何より、この細分化は、その時点ですでにドロップアウトしかけている子供達への希望の道であることも想定している。
いずれにしろ、経済的な事情や家庭環境でもない限り、今の日本ではどっかで無理やり線引きしなければ、将来を決断するタイミングがとても乏しい。そしてその線引きのタイミングが何も22歳である理由はない。さらに言うと、近頃は「医大を出て医者にならないなんてけしかん!」と言った人への苦情がむしろまっとうかのような意見が多い始末。24歳のかなり専門的な国家資格者が腹を決めないで、いったいいつ何を決められるというのだろう。(これは、苦情を言う人に苦情を言っているのみ。個々決めかねる人は当然いるだろう。しかし、それは国政が判断する範疇では無い。)


最後に、やや細かい補足をいくつか。

特に、義務教育期間において、『必ず答えがあり、しかもその多くは1つである』という教育手法は、将来の思考を組み立てていく上で望ましくない習性を身につけてしまうように感じる。
上記のように、義務教育期間をボディの育成だと捉えるならば、そのことは指導サイドに非常に困難を持ち込むものであったとしても、譲れない事項であるハズだろう。

早期細分化とは、何も既存の教育ジャンルに拘る必要はない。芸能でもスポーツでも音楽でも構わないだろう。社会の価値観が多様化している以上、その価値観に見合うノウハウは積み上げ引き継がれていくことが国家にとって大切なことだろう。

現在の方法を維持していくことは、アブノーマルを増やしていることだと暗に言っている。
そして、(これは教育論と逸れるが)アブノーマルな若者に対し、それを当人の責任かのように言うのはまったく間違っている。アブノーマルの第一の被害者とは、その当人自身である。
| 55政党 | 教育 | 21:01 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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